二夜目
恋愛の様式
2011年8月1日
ドラァグクイーンは、パーティでショーをやる機会が多いのですが、私はむかしの歌謡曲をよくつかわせてもらっています。
なぜ歌謡曲なのか。まず、不勉強なので、外国の詩を理解しきれず、ショーにまで昇華することができていないのが理由のひとつ。
そしてもう一つの理由は、日本の歌謡曲にはほんとうに名作が多いからです。
たとえば、阿久悠の「雨の慕情」。
ショーではさすがにやってませんけど、曲は小さいときからよく知っていました。
大きくなって、詞をじっくりと読んでみて、その素晴らしさに衝撃を受けてしまいました。
心が忘れた あのひとも
膝が重さを 覚えてる
長い月日の 膝まくら
煙草プカリと ふかしてた
にくい 恋しい にくい 恋しい
めぐりめぐって 今は恋しい
(引用「雨の慕情」昭和55年)
これは普通にはかけない詞ですね。
別れた男を心では忘れているが、膝が覚えている!なんて。
女の情念を表現するとして、これ以上のモノはそうそう思いつきません。
今回は、そんな阿久悠の「作詞入門-阿久式ヒット・ソングの技法」という本を紹介したいと思います。
「歌謡曲の詞には、常に新しいということが要求される。新しいということは、今までになかったということである。今までにあったかなかったかを知るためには、現在使われているさまざまな形、約束事を知っておかなければならない。そして、今までになかったということの真の意味を知らなければ、決して新しいものは、生み出せない。」
誰にもまねできない、本当に独創的な阿久悠の世界。
こんなすごい作品をつくるのだから、才能があるのは間違いない。
しかし、単に才能だけで作品がうみだされるのではなくて、このような緊張感のある努力が見えないところに存在していたのですね。
「常識はつまらない。しかし、非常識はなおつまらない。」
とも阿久悠は書いています。
奇をてらうだけのものなら誰でもかけますが、本当に新しいものは、歴史をふまえた上に創作するという、非常に困難な作業を必要としているのですね。
様式を分析しつくして、超様式といえるオリジナルのスタイルを確立するという点は詩人だけではなく、いろんな芸術に共通して言えることだと思います。
私が最も尊敬する建築家の一人に村野藤吾という人がいます。
ちょっと昔の人ですが、東京なら日生劇場、大阪なら今の大丸別館がそごうだったとき、前の建物が村野藤吾です。あと箱根や京都などのプリンスホテルなどが代表作です。
村野藤吾といえば、独特の造形美で、階段の手すり一つをみても、その人の作品と分かるくらいに独特の美しい様式を作りあげた人です。
その村野藤吾が若い頃に書いた論文に「様式の上にあれ」というものがあります。
この論文は、建築様式などを捨てて自分のスタイルを確立するべきという論点で書かれていますが、村野の経歴をみれば、独立するまでに、毎日毎日ひたすら過去の建築様式の模倣をさせられています。
そのようなベースがあって、はじめて「様式の上にあ」ることができるのです。



現在は、単に自由なデザインをしていいのだと勘違いをしているだけの建築家が多いのではないでしょうか?
大阪の駅前は大阪駅とか阪急梅田駅とかいろいろ新しい建物がたってますが、それらを見て、どうしてもそう思わざるを得ないのです。
様式の上にいるつもりが、単に様式の外に放り出されているだけではないでしょうか。
また、同じようなことがお料理についても言えると思います。
私は創作料理と銘打ったお店には絶対にいきません。
なぜなら、創作料理というのが、創作性があるというより、基本的な技量がない場合の方が多いからです。
腕がないのを創作と言い換えている半ば詐欺みたいな店をよくみかけます。
つまり、「個性、個性」と言ってる人って、たいてい「基本がなっていない」だけのことが多いと思います。
本当に個性的な人は、基本を充分に習得した上で、自分らしさを発揮しているのですね。
恋愛に関しても、一番大切なのは、「自分らしさ」「個性」と思い込み、自分の恋愛感だけを相手に押し付ける人がいます。
恋愛における自分らしさの創作も、はっきり言って上級者のやることでしょう。
恋愛のイロハも知らない小娘が自分の恋愛感などにこだわっているのをみると哀れにおもいますね。
まず、さまざまな恋愛の様式を実戦で学ぶことが大事なのではないでしょうか
「作詞入門ー阿久式ヒット・ソングの技法」
阿久悠 岩波現代文庫
「様式の上にあれ」
村野藤吾